県の天然記念物 「ムサシトミヨ」

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− 目   次 −

ムサシトミヨってどんな魚?
ムサシトミヨの一生
ムサシトミヨの仲間
天然記念物ムサシトミヨ
子供たちの増殖活動
ムサシトミヨを守る会
ムサシトミヨの課題

ムサシトミヨってどんな魚?

 ムサシトミヨはトゲウオ科の小さな魚。大人になっても体長は6cmほど。
 冷たく澄んだ水の中でしか生きて行くことができない、大変デリケートな魚。産卵期になると雄が水草を集めて小鳥のような巣を作り、メスを誘って産卵します。

 世界中で見ても、トゲウオ科の魚は北半球の亜寒帯を中心に十数種類しかいない魚で、特にムサシトミヨは熊谷の元荒川にしか生息していません。
 そのため、詳しい生態が明らかとなってきたのも最近のことで、それまでは見向きもされず多くの生息地では絶えてしまいました。
 熊谷では、偶然と多くの人々の保護増殖活動により生き延びることができました。

 

 

ムサシトミヨの一生

 生まれたばかりのムサシトミヨの稚魚は、水草の中に身を潜めプランクトンなどを食べて育ちます。
 半年ほどで体長が3cm程になり、ミズムシ・ユスリカの幼虫・イトミミズなどを活発に動き回って捕食するようになります。
 産卵は1月下旬から9月といわれていますが、最も多いのは5月下旬から6月の初旬。
 水草の茎に水草やアオミドロ等をかためて直径3cmほどでピンポン玉のような巣をオスが作ります。

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オスは巣が出来上がると、メスを誘い産卵させ卵がふ化するまで、巣を守ります。 卵の大きさは1mmほど。
 また、この時新鮮な水を巣の中に送り込むのも大きな仕事です。
 オスは稚魚が巣立つと、多くの場合力尽きて死んでしまうようです。

 

ムサシトミヨの仲間

 ムサシトミヨは、トゲウオ科イトヨ属に分類されます。
 トゲウオ科の魚は、北半球の亜寒帯を中心に分布し、世界に十数種類しかいない魚です。
 祖先は海で暮らしていたと考えられていますが、現在では多くの種が淡水域に生息しています。
 北海道・東北・日本海地方では、川で産卵して海に降りて成長するイトヨや、一生を淡水で淡水で過ごすイバラトミヨなどが見られますが、それより南の地域ではトゲウオ科の魚は少ないようです。

 トゲウオ科の分類

トゲウオ科 イトヨ属 イトヨ
ハリヨ
トミヨ属 ムサシトミヨ
イバラトミヨ
エゾトミヨ
トミヨ
ミナミトミヨ(絶滅)

 

 ムサシトミヨは、東京都と埼玉県を中心に生息していたようで、第二次世界大戦前には井の頭池・善福寺池・神田川・石神井川・熊谷・本庄・川越など、荒川、多摩川系湧水に生息していたことがわかっています。 

天然記念物ムサシトミヨ

 ムサシトミヨが熊谷市の天然記念物に指定されたのは、1984年8月1日のことでした。
 しかしそれに至るまでには、多くの人の苦労があったことを忘れてはなりません。

 ムサシトミヨがこの世に出たのは、昭和8年(1933)のこと。井の頭公園で発見されたムサシトミヨが学会で報告されたのが初めだった。
 この時はむろんムサシトミヨという名前はなく、トミヨ属の一種ということだった。

 熊谷でも、昭和16年(1941)に発行された「熊谷郷土史会誌」で、郷土史家の小沢国平氏がトゲウオの生態研究や保護を訴えた。しかし、当時この辺りにはたくさんのムサシトミヨが生息していたようで、昭和17年(1942)に作られた「熊谷いろは歌留多」には「星川に珍魚トゲウオ」と歌われています。

 このムサシトミヨに最大の危機が訪れたのは昭和32年(1957)のことでした。
 この年の異常渇水で関東各地の湧き水がかれ、ムサシトミヨは行き場を失っていきました。
 しかし、熊谷は幸運にも熊谷の元荒川上流の水が枯れることはありませんでした。この年元荒川上流にニジマスなどの冷水性の魚の増殖を行う「埼玉県水産試験場熊谷支場」ができたのです。
 熊谷支場では新鮮な地下水を大量に汲み上げ、その排水を元荒川に流したので、湧き水が枯れても川には清冽な水が流れつづけたのです。
 そして、この施設ができたためにこの辺りでは農薬の空中散布が回避され、このことがムサシトミヨが生き残った大きな要因となりました。 

 ムサシトミヨという名が付いたのは学会で発表されてから30年後の1963年(昭和38年)。国立博物館の中村博士によってトゲウオ科トミヨ属の亜種として、ムサシトミヨという和名が与えられたのです。

 この後、ムサシトミヨは既に絶滅したと一般的には思われていたのだが、1973年(昭和48年)2月7日一つの転機がやって来た。
 「絶滅したと思われていたムサシトミヨを日本野鳥の会の高校生3人が熊谷で発見した」と写真付きで新聞報道されたのだ。
 当時ムサシトミヨの存在を知っていたのは、当時日本野鳥の会であり、近くに住んでいた田倉米蔵氏(現ムサシトミヨを守る会副会長)やその周辺の人ぐらいだった。
 しかし、新聞に報道されその知名度はぐんと高くなってしまった。
 「密猟を防がねば」田倉氏はすぐにそう思い、野鳥の会としては畑違いの「魚」の保護活動が始まりました。
 まず行ったのは熊谷市へ保護を訴える陳情。しかし当時のあまりにも消極的で、絶滅する可能性が強い物を天然記念物に指定することはできないという考えだったようだ。
 野鳥の会では、生息地域に防護柵を築いたりしたが密猟は後を絶たなかった。といっても、当時はムサシトミヨ自体捕獲することを禁止されていたわけでなく、元荒川も保護区域には指定されていなかった。
 しかし、田倉氏を中心に近くに住んでいる人々で毎日パトロールを行い、魚を捕りに来た人々に説得を繰り返したそうです。→

 

 ムサシトミヨ年表
 

1933

学会に巣を作る小さな魚が報告される。

1941

熊谷郷土史会誌で保護が訴えられる。

1942

熊谷いろは歌留多に登場。

1957

埼玉県水産試験場熊谷支場開場。大量の地下水が元荒川に流れ込む。

関東異常渇水で関東各地の湧き水が枯れ、ムサシトミヨの生息地が奪われる。

1963

和名「ムサシトミヨ」が付けられる。

1973

「ムサシトミヨ発見」の新聞報道により、密漁が行われる。

1984

ムサシトミヨの生息区域が市の天然記念物に指定される。

1985

県営さいたま水族館オープン。ムサシトミヨの本格的な研究が始まる。

熊谷東小学校で増殖が行われる。

1987

久下・佐谷田小学校で増殖が行われる。

ムサシトミヨを守る会 発足

1989

ムサシトミヨの生息地が「ふるさといきものの里」(環境庁)に指定され、レッドデータブックに登場する。

1990

ムサシトミヨを守る会、県優良文化財保護団体として表彰

1991

「元荒川ムサシトミヨ生息地」として県天然記念物に指定される。

埼玉県の県の魚に選ばれる。

 

 →熊谷市が重い腰を上げたのは、最初の陳情から12年後の1984年のことだった。
熊谷市はこの年の8月1日(水の日)にムサシトミヨの生息域を市の天然記念物に指定した。
 ムサシトミヨの価値を知る、魚類学者達が埼玉県や熊谷市、そして出版物などでムサシトミヨの保護を訴えたのです。

 そしてその翌年、隣接する羽生市に「県営さいたま水族館」がオープンし、ムサシトミヨの本格的な研究が行われました。
 ムサシトミヨの飼育は専門家の手でも難しかったようで特に附加は何度も失敗したそうです。
 初めは元荒川から毎月1トンもの水を運んでいたのですが、地下水を汲み上げ紫外線殺菌装置を付けるなど様々な工夫がされました。
こうしてムサシトミヨの飼育は成功し、万が一のことが元荒川に起こっても種の絶滅という危機は脱しました。

 

子供たちの増殖活動

 1985年(昭和60年)熊谷市教育委員会は、絶滅からの危険分散策のため、熊谷東中学校に増殖飼育を依頼したのです。科学クラブの生徒達は人工増殖池に水草や砂利・川砂などを入れ、その環境をできるだけ元荒川に近づけようとがんばり、ついにムサシトミヨ20匹がその池に放されました。毎日温度を測り、夏の暑さ守るためにヨシズをかけたりと大変な飼育活動が続けられ、6月になると待ちに待った巣作りが始まりました。
 10月1日。増殖結果を確認がのための調査が行われた。成魚8匹、稚魚59匹。オスは子育てを終えると死んでしまうことが多いため成魚は半減したが、稚魚は59匹も成長。熊谷東中学校の挑戦は大成功に終わりました。 そして、その2年後には久下小学校・佐谷田小学校でも増殖が行われるようになり現在でも続いています。 この増殖活動はこの後のムサシトミヨの固体数の増加に大きく貢献したのは言うまでもありません。

 

ムサシトミヨを守る会

 1987年(昭和62年)熊谷市久下ムサシトミヨを守る会が発足しました。元荒川流域の久下・佐谷田から会員を募り15名で結成。生息域での環境保全活動や密漁のパトロールそして、ムサシトミヨのPRが主な目的です。
 守る会では、伸びきった草や水草の除去・ゴミ拾い・ヘドロの除去など環境保全に勤めるかたわら、周辺の住民や熊谷市に協力を求め、生活廃水による環境悪化防止など様々な活動を行っています。
 1987年には推定600匹だったムサシトミヨも、現在では25000匹以上に増えました。
 しかし、元荒川の生息域は僅か1400mにすぎず、絶滅の危険から脱したとはいえません。
 守る会の様々な活動に1990年には、県優良文化財保護団体として表彰されました。

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ムサシトミヨの課題

 ムサシトミヨは、まだ種として認められた魚ではないため、ムサシトミヨ自体は天然記念物に指定されていません。 ムサシトミヨの生息する地域約400mが天然記念物に指定されているのです。したがって、この区域を少しでも出るとその保護活動が難しくなってしまうのです。
 そしてそこには、普通の住宅が立ち並んでいます。元荒川上流域に生活廃水を流さないようにすることと、そこに住む人々の協力が必要となっています。

 1989年には環境庁からムサシトミヨ生息地が「ふるさといきものの里」に指定され、またこの年レッドデーターブックにムサシトミヨが登場しました。
 これは、絶滅が心配されている動植物を集めその保護を訴える本です。
 さらに、1991年(平成)には生息域が市指定から県指定の天然記念物となり、その年の11月には埼玉県の魚として指定されました。
 しかし、ムサシトミヨの絶滅の危機が去ったわけではありません。熊谷の自然のシンボルでもあるムサシトミヨをさらに保護し、自然と人間とが共存できるようにしていきたいものです。

 

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