熊 谷 次 郎 直 実
kumagai jiro naozane


 熊谷次郎直実は何をした人なんでしょうか?
 直実の年表を作ってみました。
直実の生きた世は、平氏・源氏・北条氏・藤原氏が日本の中で大きな勢力を持っていた。
その中で、関東の武蔵武士は、主に源氏につき鎌倉幕府を支えた。


熊谷次郎直実年表

西 暦   年 号   月 日   歴               史 
1141 永治元年 2月15日 熊谷次郎直実、熊谷館に生まれる。(永久4年という説もあり)
幼名を弓矢丸。
1142 永治二年   父、直貞没。直実は叔父久下直光の元で養育される。熊谷郷は直光に管理される。
1155 保元元年 7月11日 弓矢丸15歳。元服し、熊谷次郎直実と名乗る。
1159 平治元年 12月 直実19歳の時、源氏方につき平治の乱に出陣。平重盛と戦い破れる。
1169 嘉応元年   長男「直家」生まれる。
  久下直光の代役として大番役を勤めるため、京都に。しかし、途中で平知盛に仕え、直光と対立。直光は怒って熊谷郷の一部を奪い取る。
1180 治承4年 8月23日 頼朝が相州石橋山に挙兵。直実は 平氏方の大庭景親(おおばかげちか)に従い、頼朝の兵と戦う。
このとき、逃げる頼朝を救ったとして、家紋の「ほやに鳩」を頼朝からもらうという話が残っている。この後、直実は源氏方につく。
(石橋山の戦いの時、頼朝に従い破れるという説もある)
11月4日 頼朝、常陸の佐竹秀義を討つ。このとき直実は先陣をとり軍功をあげる。
1182 寿永元年 6月5日 頼朝、佐竹討伐での軍功に公家直光の押領を止めさせ、直実を地頭職とする。
1184 元歴元年 1月 頼朝、木曽義仲を追討。直実とその子直家は、範頼に従う。
1月 富士川の戦いで義経に従って直実・直家は武功をあげる。
2月7日 一の谷の戦い。義経に従い出陣。直実は平敦盛(たいらのあつもり)を討つ。
2月8日 敦盛の首に遺品と書状(熊谷状)を添えて、敦盛の父経盛に送る。
2月14日 平経盛、直実に感謝を述べた返状(経盛返状)を直実に送る。
1187 文治三年 8月4日 鎌倉八幡宮放生会の流鏑馬に頼朝から、的立て役を命ぜられるが、これを不服とし辞退。所領の一部を没収される。
1188 文治四年 7月5日 直実の娘、玉鶴姫は妙蓮と名乗り母の菩提を葬うため信州善光寺へ参詣する。(姫塚伝説)
1189 文治五年 7月19日 頼朝に従い奥州征伐に出陣。藤原泰衡を征伐する。
1190 建久元年   敦盛の7回忌供養。紀州高野山に熊谷寺を建立し、敦盛の供養塔を建てる。
1191 建久二年 3月1日 直家に熊谷郷内の田20町歩を与える。
1192 建久三年 11月25日 久下直光との境界線争い。鎌倉幕府に訴上し頼朝の裁判を受けるが、不公平な判断に憤慨し途中で退座。髪を切り武士を捨て熊谷郷に戻る。
1193 建久四年 3月 京都の法然上人(源空)を訪れ、仏門に入る。蓮生房と名乗る。
1195 建久六年 8月 京都より熊谷郷に戻る。途中、「逆さ馬」「十念質入れ」などの行い。東海道藤枝宿に、熊谷山蓮生寺を建立。熊谷郷に帰った後、草庵を建て住む。
1204 元久元年 6月23日  上品上生の夢を見て、誓願状を記す。 
1206 建永元年 10月2日 再び上品上生の夢を見て、夢記を記す。
1207 承元元年 9月4日 上品上生を予告し、往生する。

*年号や行いなどについては諸説あるものがあり、その真意は遠い昔のことなので解りません。

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